藁に包まれた納豆は、長く地域の食べものだった。それを「商品」として広げようと考えた一人の男がいた。
藁の外へ
納豆はもともと、藁苞の中で自然発酵する食品だった。温度や湿度に左右されやすく、遠くへ運ぶには不向きとされていた。その常識を変えようとしたのが、笹沼五郎である。彼は製造工程を見直し、品質を安定させる方法を模索した。藁に頼らず、管理された環境で発酵させる。雑菌を抑え、納豆菌を活かす。納豆を家庭の台所から市場へと押し出すためには、偶然に任せない仕組みが必要だった。発酵という目に見えない働きを、技術として扱う決断である。
温度を操る
納豆づくりの鍵は温度にある。蒸した大豆に納豆菌を接種し、一定の温度で保温する。発酵が進みすぎれば風味が落ち、足りなければ粘りが出ない。笹沼はこの工程を安定化させ、流通に耐えうる品質を追求した。さらに容器の改良にも取り組み、持ち運びやすさと衛生面を向上させる。発酵食品を大量に扱うには、目に見えない微生物と向き合わなければならない。経験と実験を重ねる中で、納豆は地域限定の食品から、広域で販売できる商品へと変わっていく。大豆はここでも、技術の力によって新しい形を与えられた。
朝の定番へ
やがて納豆は、特定の地方だけでなく、全国の食卓に並ぶようになる。冷蔵技術や輸送網の整備もその後押しとなった。朝の食卓に小さな容器が置かれる光景は、今では珍しくない。しかしそこに至るまでには、発酵を制御し、商品として整えた人の存在がある。納豆は匂いも粘りも強い食品だ。それでも受け入れられたのは、日常に入り込む力があったからだろう。笹沼の仕事は、納豆を特別な食から、続いていく食へと変えた。大豆は粘りをまといながら、流通の道を歩き始めた。
発酵は偶然から始まるが、広がるには意思がいる。納豆を流通食品にした試みは、目立たぬ改革だったかもしれない。それでも、その積み重ねが今日の食卓につながっている。大豆はまた一つ、社会の中で居場所を広げた。
参考文献
・Shurtleff, William & Aoyagi, Akiko
History of Natto and Its Relatives(Soyinfo Center)
・石毛直道『食の文化史』岩波書店
・全国納豆協同組合連合会『納豆のあゆみ』
・農林水産省「納豆に関する統計資料」
・原田信男『和食と日本文化』小学館